「きんま道」が再現されました。
「黒田百年桜まつり」のイベントを控え、おーらい黒田屋前の池に「きんま道」が登場しました。
この「きんま道」は、去年秋の「黒田ふれあいまつり」の会場で再現され、京都新聞や「森の京都探訪記」にも紹介され、関心が高まりました。
昔の山仕事の一端を多くの人に見てもらおうと、再び作りなおしたものです。
現在のような林道がなかった時代、山から切り出された木材は、「きんま(木馬)」と呼ばれる運搬用の木製のそりに積まれ、山道に丸太を敷き並べた「きんま道」を人力で引き、川べりまで運び出されました。
急傾斜の山道を下るときは、大変な危険を伴う重労働でした。
経験者は「命がけの仕事だった」「重いきんまと、数十本もの“かすがい”や“とんび”(鳶口のこと)を担いで山を上がるのも辛い仕事だった」と往時の苦労を語ります。
流れを丸太で堰き止めた止め場(とめば)と呼ばれる仮設の「堰」に集められた木材は、堰を開放した水の勢いに乗って大堰川(上桂川)の本流に出され、筏場(いかだば)と呼ばれる堰で筏に組まれ、筏師に操られて京の都へと運ばれていきました。
「きんま」は、ワイヤロープを使った「索道」による搬出や、林道が整備されてトラックや運搬用重機が入るようになる昭和40年代まで、重要な搬出手段として活躍しました。
そして14日、ついに「きんま曳き」さんのかかしが登場しました。
4月21日、前掲の貴重な「きんま出し」の白黒写真の“ご本人”が、「再現・きんま道」を夫婦で見学に来られました。
うしろの写真は30歳ごろとか。
御年96歳。お元気です。