おーらい黒田屋

黒田の里について

黒田の位置

黒田の位置

 黒田地区は、京都市右京区京北地域(旧京北町)の最東部に位置します。西は京北・山国地区に接し、北と東は左京区の広河原と花背地区に、そして南は左京区鞍馬、北区雲ヶ畑地区に接しています。
 京北地域の中でも桂川の最上流域にあたり、桂川をさらに溯ると花背を経て広河原の源流域に達します。桂川には黒田地域で支流の灰屋川、片波川が合流します。

 黒田の中心部、宮町の標高は325m(旧黒田小学校前)で、京都の都心部と比べ気温は5度前後低く、冬には40~50センチの積雪となることがあります。

 灰屋川上流の集落で、黒田地区の最南端にある芹生(せりょう)町は標高が650mあります。

 その南にある標高720mの芹生峠を越えると、貴船を経て都に通じる昔からの京街道でした。今は府道361号、上黒田・貴船線となっています。
 黒田地域内には、国道477号(大阪池田市~三重県四日市市)が東西に横切っています。
 地域の面積の9割を山林が占め、昔から林業の村でした。

黒田の歴史

 京北の山国と黒田、左京区の花背と広河原の一帯は、平安時代から山国杣(やまぐにそま)として天皇家の直轄地である禁裏御料(きんりごりょう)に指定され、平安京造営以来、都への用材の供給地でした。
 黒田は、山国杣にあっても大堰川(桂川)上流域の大布施杣に属し、その中心的存在でした。片波川源流域の伏条台杉群に代表されるように、現在も大きい杉の株が残っています。
 近世に入ると黒田産の木材は、需要の高まった京都や大阪の市場に商品として搬出されました。木材の搬出は筏流し(いかだながし)が主流で、平安時代から禁裏(御所)への貢納材を桂川の水運で輸送し、近世における市場への輸送ももっぱらこれによりました。
 黒田から嵯峨、梅津、桂の3か所の材木屋に運ばれた筏は、幕末期で年間約3百乗(筏一乗は幅約2.4m、長さ約54m)とされます。

 黒田は、禁裏へ木材を貢納する一方で、禁裏との間には日常的な付き合いも生まれました。天皇の側近の女官が室町中期から江戸末期までに書き継いだ「御湯殿上日記(おゆどののうえにっき)」には、宮中の年中行事の際に、また頻繁に、鮎、粽(ちまき)、餅、柿、菜、檜皮(ひはだ)、樒(しきみ)などを持参したことが記されています。夏には活き鮎を夕刻から翌朝にかけて御所まで運んだといわれます。

 農地の少ない黒田では、男性は筏流しや製炭を含む山林労働により生活を支え、農作業の主な働き手は女性でした。女性も炭俵二俵を背負い、鞍馬や貴船などの問屋にそれを運んだといわれます。

主な施設

黒田基幹集落センター

黒田基幹集落センター

黒田トレーニングホール

黒田トレーニングホール

黒田駐在所

黒田駐在所

黒田郵便局

黒田郵便局

旧黒田小学校グラウンド

旧黒田小学校グラウンド

トレーニングホールとグラウンドは黒田自治会が京都市から管理を委託されています。
《使用料》
◎トレーニングホール 1時間600円(3時間を超える場合は1.5倍)
◎グラウンド無料 夜間照明あり

各施設のご利用・お問い合わせは
黒田自治会
075-856-0001
(月・水・金 午前9時から午後4時まで)

黒田のリンクサイト

» あらい農園 http://arai-nouen.net
» 耕し歌ふぁーむ http://tagayasiuta.com
» 京北くろだ里の駅プロジェクト http://kuroda-satonoeki.jp
» よしだのはたけ http://www.yoshidanohatake.com/